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2008年9月23日 (火曜日)

劍豪の佩刀(六)

【劍豪の佩刀】

佐々木小次郞・・備前長船長光(びぜんおさふねながみつ)・・(古刀)

言はずと知れた武藏の好敵手、巖流佐々木小次郞ですが、その愛刀は「二天記」によれば長さ三尺餘りの大太刀だつたとされてゐます。
三尺を超えるものは「野太刀」とも稱されます。小次郞の愛刀は"物干竿"の異名でよばれたやうですが、作刀は【備前長船長光】だつたと同書には記されてゐます。

小次郞の號「巖流」は實は彼が創始した流派の名です。小次郞は、中條流の流れを汲む富田流の祖、富田盛源(とだせゐげん)の門人だつたと言はれてゐます。

中條流は小太刀の流派で、小太刀でいかに長刀と渡り合ふかを研鑽しました。
小次郞は、小太刀の相手方として野太刀の打太刀役を長年務めたため、逆に大太刀の術に精通するに至つたとされてゐます。
しかしながら、佐々木小次郞が實在の人物だつたかどうかは、素性が諸説あり、實のところ確定されてゐません。

【長光】は備前國長船村(現岡山縣邑久郡長船町)に居住した長船派の刀匠です。
長船派は、鎌倉中期に衰退した一文字(いちもんじ)派に代はり、室町末期まで繁榮した鍛冶集團でした。
「備前長船」といへば名刀の代名詞とまでなりました。

長船には、代々、古備前「正恆(まさつね)」といふ巨匠の一門が居ましたが、一文字の名聲に押され一時衰退してゐました。
歴仁年間(鎌倉中期)に「光忠」といふ名匠が出て長船鍛冶中興の祖となります。
【長光(初代)】はその子で、左衞門尉と稱し父と竝ぶ名匠です。

太刀姿は、後に「長光姿」とよばれる姿格好の最も良い、しかも氣品に滿ちたものです。
刄文は純然たる匂ひ本位の大丁字(おおちょうじ)亂れで、刄中に見事な匂ひの働きがみられます。

切銘は、「長光」「長船長光」「備前國長船住長光」「備前國長船住人長光造」。

●名物「大般若長光(だいはんにやながみつ)」、國寶、東京國立博物館藏。
號の由來は、その代付(値段)が破格の六百貫であつたところから、大般若經六百卷にちなんで名付けられたものです。

Photo20_s

●名物「津田遠江長光(つだとおとふみながみつ)、國寶、德川美術館藏。
織田信長の愛刀です。

http://bunka.nii.ac.jp/SearchDetail.do?heritageId=18714

●銘「熊野三所權現長光(くまのさんしよごんげんながみつ)」、國寶、個人。
三所權現は長光の信仰した御神といはれてゐます。

これは倉敷刀劍美術館藏の長光です。

http://www.touken-sato.com/web-gallery/nagamitu.htm

【價格】

「長光(初代)」・・・・2500萬圓。

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