劍豪の佩刀(八)
【劍豪の佩刀】
●伊藤一刀齋・・・大一文字助宗(おゝいちもんぢすけむね)・・(古刀)
【大一文字助宗】は、新陰流と竝んで近世の劍術界を二分する勢威を示した一刀流の開祖、伊藤一刀齋景久の愛刀です。
幼名は“鬼夜叉”だつたとも謂はれる一刀齋が、十四歳のときに伊豆の三島大明神(現靜岡縣三島市、三島大社)に參籠した折、おりしも當地では富田一放なる武藝者が劍術を教へてゐました。
この一放に立會ひを申入れた一刀齋は、ただの一撃で相手の肩を打ち、一放を打ち倒して仕舞ひます。
これを見て驚愕した同社宮司矢田部織部(やたべをりべ)から、將來を見込まれ贈られたのが神社の寶刀であつたこの刀と謂はれてゐます。
そしてさらにはその夜、神社に六人の盜賊が偲び込みますが、一刀齋がこの刀を使ひ盜賊たちを次々と切り伏せて仕舞ひます。そして最後の一人が大きな甁の陰に隱れこんだのを、その甁ごと眞二つに斷ち割つて仕舞つたのでした。
これ以降この刀は「甁割刀(かめわりとう)」と號され、寶劍のやうに捧持されて、後代へと繼承されたと謂ひます。
一刀流はその後、二代目繼承者、小野次郞衞門忠明(前名、御子神典膳(みこがみてんぜん))を經て、小野派一刀流、中西派一刀流、北辰一刀流、他、多くの分派を産んでゐます。
【助宗】は、備前福岡一文字派の刀匠です。
福岡一文字は備前國福岡莊(現邑久郡長船町内)に居住した刀工群で、「則宗」を祖としてゐます。
則宗は元歴年間(鎌倉初期)の人で、後鳥羽院御番鍛冶の筆頭格でした。助宗はその子で、やはり御番鍛冶となり「大一文字」と呼ばれてゐます。
「一文字」は銘を「一」とのみ切ることがありますが、これは後鳥羽院から「天下一なり」といふ叡慮を賜つたことによります。
太刀は腰反りのある品位に富んだ姿。
刄文は、純然たる匂ひ本位で百花繚亂と咲き誇つた八重櫻のやうな重花丁字(じゅうかちょうじ)亂れです。
山城粟田口派が沸と地肌が絶妙なのに對し、一文字は刄文の華麗さで天下一を誇つてゐます。
これは父、「則宗」です。まだ古備前風の落ち着きを殘してゐます。
↓
http://www.touken-sato.com/web-gallery/koitimonnji.htm
【參考價格】
則宗・・・・2800萬圓。
助宗・・・・2500萬圓。
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コメント
権太様
メール2本送りましたが届きましたかね。私の方もアドレスややこしくなっていると思いますけれども。
投稿: 猫見海宝 | 2008年9月27日 (土曜日) 16時39分