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2008年10月 2日 (木曜日)

劍豪の佩刀(九)

【劍豪の佩刀】

小野次郞右衞門忠明・・波平行安(なみのひらゆきやす)・・(古刀)

小野忠明は、上總國夷隈郡丸山町神子上とも、安房國朝夷郡丸村御子神(上)とも謂はれる所(現千葉縣南房総市)の生まれで、前名を御子神(上)典膳(みこがみてんぜん)と謂ひます。御子神家は、「南總里見八犬傳」で有名な里見氏の家來であつたとも謂はれます。

忠明は一刀流正統二代目として、德川二代將軍秀忠に召し出されてのち六百石を賜つてゐます。それ以後一刀流は新陰流と竝んで、將軍家御流儀となりました。

小野忠明と伊藤一刀齋の出會ひの顛末ですが、ある時兵法者として全國を囘國してゐた伊藤一刀齋は、とある宿場の宿の前に、「試合を望む者あらば相手をいたす」との高札を立てました。

それを見た腕に覺えのある御子神典膳は、仲間にすゝめられたこともあり一刀齋に試合を申し込みます。

申し込まれた一刀齋は、「見れば弱年の君の命をあたらもらひ受けるのはいかにも大人氣ない」と、自分は一尺ほどの薪を手に取り、「君は木太刀、眞劍いづれを使はうと苦しからず」と答へます。

この態度に憤慨した典膳は眞劍を選び、斬り込むこと十數囘。

しかしいづれも一刀齋によつてものの見事に刀を打ち落とされてしまひます。これに驚嘆した典膳は即刻、一刀齋に入門してゐます。

その時の典膳、後の小野次郎右衞門忠明が手にした刀が「波平行安」だつたといはれてゐます。

波平(なみのひら)】は、薩摩國谷山鄕波平(現鹿兒島市上福元)に居住し鍛刀した刀工の總稱です。
平安末期から南北朝時代までのものを古波平、室町中期以降のものを末波平と呼びます。

初代「行安」は文永年間(鎌倉中期)の人で、同名が何人もゐます。
一門の名には「行光」「安行」等、必ず「」か「」の字がつきます。

太刀姿は京反り深く、身幅狹く重ね薄く小切先の、優しく品位のある作柄です。五箇傳の内の大和傳を踏襲してゐます。
刄文は、沸本位で小沸のついた細直刄(ほそすぐは)か小亂れです。
地肌は、杢目に綾杉肌(あやすぎはだ)が混じりますが、月山鍛冶のやうな整然とした綾杉肌ではありません。
ちなみに綾杉肌は、月山(がっさん)、舞草(もうぐさ)、波平以外にはありません。

切銘、「波平行安」。

http://bunka.nii.ac.jp/SearchDetail.do?heritageId=82706

【價格】

古波平初代「行安」・・・・1500萬圓

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